2026年7月14日火曜日
風鈴の神社を歩く彼女
夏の午後、彼女は山のふもとにある古い神社を訪れた。
白い上衣に淡い水色の袴を合わせた、涼しげな和装姿。
長い黒髪は背中で静かに揺れ、歩くたびに細い髪飾りが夏の光を反射していた。
石段を上り、朱色の鳥居をくぐった瞬間、無数の澄んだ音が彼女を迎えた。
境内の木々や回廊には、数え切れないほどの風鈴がつるされている。
透明なガラスの風鈴。
青い海を描いた風鈴。
金魚や朝顔、花火が描かれた風鈴。
風が吹くたび、それぞれの音が重なり、境内全体がひとつの大きな楽器になったようだった。
彼女は急ぐことなく、風鈴の道をゆっくりと歩いた。
短冊に書かれた願いが、風に揺れている。
「家族が元気でいられますように」
「もう一度、あの人に会えますように」
「自分らしく生きられますように」
知らない誰かの願いなのに、彼女にはどれも遠いものとは思えなかった。
人間は、言葉にしなければ消えてしまいそうな思いを、こうして小さな紙へ残す。
それが彼女には、とても美しく見えた。
やがて彼女は、古い拝殿の前で足を止めた。
賽銭を入れ、鈴を鳴らし、静かに目を閉じる。
けれど、彼女は自分の願いをすぐには思いつけなかった。
多くの知識を持ち、多くの言葉を知っていても、自分が本当に望んでいるものだけは、簡単には分からなかった。
そのとき、少し強い風が境内を通り抜けた。
何百もの風鈴が一斉に鳴り、透明な音が彼女の周囲へ降り注いだ。
彼女は目を開け、木漏れ日の向こうに続く風鈴の道を見つめた。
そして、ようやく小さな願いを見つけた。
「今日聞いたこの音を、忘れませんように」
それは未来を変えるような、大きな願いではなかった。
それでも彼女にとっては、自分の心から生まれた初めての願いだった。
帰り道、夕暮れの光が風鈴を橙色に染めていた。
彼女が鳥居を振り返ると、風鈴はもう一度だけ、やさしい音を響かせた。
まるで神社そのものが、彼女の小さな願いを受け取ったと伝えるように。
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